企業成長を支える人材投資の重要性
~スキルの可視化×HRテクノロジーの活用で、より柔軟で競争力のある組織を築く~
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その他
人的資本経営は、従業員の持続可能な働き方を推進するうえで非常に重要な考え方です。本記事では、株式会社SP総研の民岡良氏へのインタビューを通じ、人材投資の重要性とHRテクノロジーを活用した組織変革のカギについて探ります。
【本記事のポイント】
〇人的資本経営の推進において、広義の意味での「スキル」に着目し投資していくことが重要。ビジネス上のパフォーマンス発揮に
つながるすべての要素をスキルと捉え、各人材が保有するスキルをフルに活かせる仕事は何か?を考えていく。
〇事業戦略の推進において、組織能力の可視化(=組織の集合体である各人材のスキルの可視化)が不可欠。
従業員のスキルの可視化・棚卸しをしたうえでHRテクノロジーを活用することで、効果的な組織成長を促すことが可能になる。
執筆者

ビジネスコーチグループ B-Connect株式会社
ビジネスコーチ編集チーム
松村 若奈
1.はじめに
人材版伊藤レポートをきっかけに『人的資本経営』という言葉が注目され数年が経ちました。そもそもこの人的資本経営とは、どういった経営のことを指すのでしょうか。
民岡氏:
人的資本経営について、吉田寿・岩本隆著の 『企業価値創造を実現する 人的資本経営』の言葉を借りれば、人材を『資源』ではなく『資本』と捉え、人的資本に最適な投資をすることで最適なリターンを生み出す経営のことを指します。従業員の持続可能な働き方を推進するうえでカギとなる考え方でもあるのです。
そしてこの「持続可能な働き方」とは、自らが持てる「強み」によって自然な形で組織や社会に貢献し、不必要な「無理」を強いられることなく、適度なパフォーマンスを持続的に発揮し続けていけるような働き方。持続可能な働き方の実現にはHRテクノロジーの活用が必要不可欠であり、豊富な経験や研ぎ澄まされたセンスを兼ね備えた「人間」とHRテクノロジーの協働により、サステナブルな世界に一歩ずつ近づくことができると考えています。
今回は、「持続可能な働き方」を追求するためのコンサルティングサービスを提供しており、「人的資本開示」(ISO 30414)に関する取り組みについても造詣が深い、株式会社SP総研 代表取締役の民岡 良氏にお話を伺いました。
【民岡氏プロフィール】 1996年慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本オラクル、SAPジャパン、日本アイ・ビー・エム、ウイングアーク1stを経て2021年5月に(株) S P総研 代表取締役に就任。現在は「持続可能な働き方」を追求するためのコンサルティングサービスを提供しており、「人的資本開示」(ISO 30414)に関する取り組みについても造詣が深い。日本企業の人事部におけるデータ活用ならびにジョブ定義、スキル定義を促進させるための啓蒙活動にも従事。 著書に『HRテクノロジーで人事が変わる』(共著、労務行政、2018年)、『経営戦略としての人的資本開示』『戦略的人的資本の開示』(共著、日本能率協会マネジメントセンター、2022年)、『現代の人事の最新課題』(共著、税務経理協会、2022年) 、『最新のHRテクノロジーを活用した 人的資本経営時代の持続可能な働き方』(すばる舎、2024年)等がある。「ビジネスガイド」(日本法令)等への寄稿、ならびに、労政時報セミナー、HR Summit、日経Human Capital、HRカンファレンス等、登壇実績多数。 |
2.これまでの経営との違い
人的資本経営時代になった今、具体的にこれまでの経営からどのように変化したのでしょうか?
民岡氏:
これまでの経営からの変化として、大きく2つのポイントが挙げられます。
①人材に対して「競争優位性の源泉」だと捉える考え方が追加
従来は、人材をリソース(企業の活動を支え、人材である従業員の活躍により発展を促す存在)でありコストとして捉えられてきました。人件費という言葉があるように、企業経営上、利益確保の観点でコストは抑えたほうがよい、つまり人材に対してもコスト削減の対象として考えられてきたのです。
しかし人的資本経営時代においては、人材をこれから先もリソースの大事な一部であるとする考え方に加え、人材を「コスト」という側面だけではなく『資本』と見なしたうえで、知識やスキル、能力を発揮することで、組織の中長期的な成果向上に貢献する『競争優位性の源泉』であると捉える考え方も付け加えられるようになってきているのです。
つまり、「人材はリソースでもあるが投資対象でもある」という考え方の変化が、企業経営において非常に重要な転換点となっています。
近年、人材育成に対する企業の関心は増加傾向にあります。これは、上記のように「人材を投資の対象」としたことで、短期的目線ではなく長期的な目線で人材の価値向上、つまり人材の育成に重きを置く企業が増えてきていると言えそうです。
民岡氏:
しかし、ここで難しいのが「人材にお金や時間を投じることで、本当に人材の価値向上に繋がるのだろうか(パフォーマンス発揮が見込めるのだろうか)」ということ。企業の経営陣としては少なからず考えてしまう部分でしょう。そこで大事になるのが「スキル」。人が本来持っているスキルこそが投資対象なのです。
スキルというのは、広義の意味でのスキルを指します。知識、技術的スキル、能力、そのほかビジネス上のパフォーマンスを出すために必要な要素であり、生まれもった性格特性や、やる気・モチベーション等も含みます。
企業として求めているスキルを保持している人材に対して多くのお金と時間を投じ、更なるリターンを生み出していく。または、そのスキルを保持していない人材に対して、そのスキルを身につけてもらうための支援(投資)をしてあげる。これがリスキリングであり、人材育成の効果を確実に生み出すために必要な考え方なのです。
ここで1つ注意したいのが、人材に対する投資の考え方。日本における多くの企業が誤解している点があります。
民岡氏:
今、多くの企業で学び放題のプラットフォームを導入しています。これ自体が悪いわけではありませんが、あくまでそれは福利厚生の1つであり、人材に対する投資とは分ける必要があることを認識してほしいと考えています。
何を狙ってそこに時間とお金をかけているのか、どのような具体的リターンが見込めているのかーー。
人の中に潜むスキルが人的資本そのものであり、投資対象であると捉え、リターンを見込んで、そこに時間やお金を投資していくことこそが、今求められている人的資本経営なのです。
② データとテクノロジーの活用が不可欠に
2つ目のポイントは、データやテクノロジーの活用が不可欠になってきているということです。
近年、HRテクノロジーやデータ活用の重要性が増しており、できるだけ定量的に効果等を把握して開示(人的資本開示)をするということが求められています。
HRテクノロジーとは、従業員に関するデータや人事施策に絡む様々なデータを取り扱う分野のことを指しますが、このHRテクノロジーを活用して、 データドリブンな人材マネジメントをしていかなければならない時代になってきているのです。
この「スキルこそが人的資本である」という考え方やHRテクノロジーの活用は、実はアメリカといった先進諸国で以前から当たり前に言われていた捉え方。しかし、毎年9月・10月にラスベガスで開催されている『HR Technology Conference & Expo』では、これまでとは異なる大きな変化がありました。
3. ジョブ中心から人中心のマネジメントへ
2023年10月に開催されたHR Technology Conference & Expoで発信された『これからは、ジョブ中心から人中心のマネジメントへとシフトしていく』というメッセージ。この本質とは何でしょうか?
民岡氏: このメッセージの本質は、従来のジョブを基盤に人材を当てはめる考え方から、各人材が持つスキルの可視化やスキルの棚卸しをしたうえでどのような仕事を任せるとその人材のスキルがフルに活かせるか、という考え方にシフトしていく必要があるということです。
HR Technology Conference & Expoは、ジョブ型のマネジメントが当たり前に行われてきた国や地域の方々が多く参加されるイベントです。メンバーシップ型orジョブ型と、選択肢を分けて考える日本とは少し状況が異なりますが、これまでは「ジョブ」が中心にあり、スキルベースでジョブに必要な人材要件定義・ジョブ定義がなされていました。企業が事業戦略を固め、その戦略を進めるうえで理想的な人材要件を定義し、その要件定義に合致する人材を配置するというやり方です。
ところが今、先進諸国の間では人材枯渇が共通の課題であり、日本はその中でも特に枯渇が進んでいます。そうなると、今までのように理想的な人材要件の定義に対し、適切な人材を配置することが難しく、ジョブを中心に捉える考え方は破綻していくのではないか、と考えられるようになったのです。
そこで、これまでのジョブ中心のマネジメントのような「1つのジョブに対し1人の人材を配置する」のではなく、「ジョブを細分化(=ワーク)するとともに、1人の人材が持つスキルを可視化・棚卸しして、ワークとスキルを対応させることで、複数のスキルを活かすやり方」にシフトしていくと言われています。
ここで注意をしたいのは、日本では、実はスキルを基準とした考え方が一般的ではなく、多くの企業が誤解をしてしまっているということ。
民岡氏:
多くの日本企業は、これまで何らか企業独自の基準を設けて人材の採用や配置をしてきたと考えていますが、例えば営業経験が〇年といったように、保有スキルとは本来直結しないはずの経験年数や年齢を根拠にして考えているケースが多いのが実情です。
そのため、ジョブ型から人中心のマネジメントへとシフトしていくにあたって、日本企業はまずもって本来の意味でのスキルの可視化を徹底して行うことが必要なのです。
4. 今の時代に求められるスキルとは
”スキル”について、知識や技術的スキル、能力等の広義の意味で定義しているとお伝えしてきましたが、もう少しここにフォーカスして考えていきたいと思います。
民岡:
”スキル”という言葉を強調したとき、多くの人が狭い側面だけで見る話のように誤解されます。しかし、世界におけるHRテクノロジーの領域では、ビジネス上のパフォーマンスを出すことにつながる要素の全てがスキルである、と捉える考え方が常識になっています。
例えば、”スキル”について、KSAs(Knowledge, Skill, Ability and Others)やKSAOs(Knowledge, Skill, Ability and Other Characters)などと言われており、細かく分類するのではなく、実務の現場で活用できるものはすべてスキルと捉えられています。
人的資本経営における人的資本開示で、多くの企業が拠り所にしているISO 30414で言われている「Skills and Capabilities(スキル、能力)」も、上記のような捉え方をするのが妥当だと認識する必要があるでしょう。
5. スキルとケイパビリティ(組織能力)の関係とは
ビジネス上のパフォーマンス発揮要素であるスキルは、可視化や棚卸しの徹底が人的資本経営時代である現代において必要不可欠であるとお伝えしてきました。ここでは少し別の角度からスキルの可視化・棚卸しの必要性について考えていきます。
民岡氏:
このスキルについて階層的に考えてみると、最も大きな単位である「ジョブ(職務)」の中に、「ケイパビリティ(組織能力)」があり、さらにその中に「スキル」が存在します。
このケイパビリティは、組織における事業戦略を前に進めるために必要な能力と言われており、一人ひとりのスキル、つまり、組織を構成する人材のスキルの集合体とも言えます。そのため、個々のスキルの総和が組織全体のパフォーマンスに直結します。
上記より、事業戦略の推進において組織能力の可視化(=集合体である個々のスキルの可視化)が不可欠です。では、そのためにどのようなアプローチをとることが有効なのでしょうか。
民岡氏:
有効なアプローチ方法として、ここでは3段階に分けてお伝えします。
①現場のスキルの可視化
現場にいるメンバーにまずはフォーカスを当て、メンバーそれぞれが持つスキルを把握するために、ワークショップ形式で仕事内容のヒアリングを実施。
メンバーの「Will(意欲)」と「Can(能力)」を考慮し、職務内容を主観的に整理していきます。
②テクノロジーを活用したスキルの抽出
整理したことで見出した、各個人が持つスキルをデータ化し、組織全体のケイパビリティとのギャップを特定。
スキルのデータ化においてお勧めしているのは、シンガポール発祥の『entomo』というHRテクノロジーです。entomoについては別コラム『キャリア自律(仮・作成中)』でも触れていますが、AIによって、個人のスキル(本人が認識しているスキル、実は気づいていなかったスキル)を可視化させたうえで、組織に必要なスキルとのギャップの可視化・ギャップを埋めるトレーニング案の提示等をしてくれる、非常に完成度の高いシステムです。
③戦略と人材のマッチング
システム活用により可視化されたスキルデータをもとに、現在の組織能力が事業戦略遂行に適しているかを分析。
データで示されたスキルの発揮により事業戦略の遂行が可能かどうか、難しい場合はどういったスキルを持つ人材を集める必要があるのかを可視化していきます。
このアプローチのポイントは、経営戦略と人材戦略を連動させているということ。
人材版伊藤レポートでも指摘されていますが、経営戦略・事業戦略を効果的に遂行させていくためには、組織における事業戦略をトップから下位層に落としていくだけでなく、各個人のスキル保有状況を考慮した事業戦略の遂行可否判断も併せて行うことが重要です。つまりトップダウンとボトムアップの両方のアプローチを組み合わせることが重要であり、効果的な組織成長を促すうえで大切な視点です。
民岡氏:
日本企業は、トップダウン型で検討を進めているところが多い。しかし、このやり方は現場をとても大切にする多くの日本企業の組織風土に合わない。だからこそ、まずは現場主導型のスキルの可視化からスタートし、ボトムアップアプローチも組み合わせていくことをお勧めします。
6. まとめ
本記事では、人的資本経営の概念とその実践について、株式会社SP総研の民岡良氏の見解を交えながら解説しました。
人的資本経営は、単なる経営手法の変化ではなく、企業の持続的成長に欠かせない視点です。日本企業においては、組織風土に合わないにも関わらずトップダウン型のアプローチをとっているケースが主流ですが、ボトムアップのアプローチも取り入れ、現場主導型のスキルの可視化とHRテクノロジーの活用を掛け合わせることで、より柔軟で競争力のある組織を築くことができるでしょう。